こたつアトリエ中継|線譜(葉書サイズ14作目,名刺サイズ18作目)描いてます:2011.04.29.


USTアーカイブ(05:27)


<なんとなく文字起こし>


最近の絵は構成が大きく二種類、「黒地に白(線)」と「白地に黒(線)」となってきています。
前は「線そのものの様子(かすれたり、溜まってたり、すーっと伸びてたり、ギザギザしてたり)」を見せていたのですが、ラインを見せる感じでもなくなってきました。

ボールペンが0.25メインになり、それまでの0.6に比べて細くなった分「線の様子」が見えなくなってるというのがあります。
そして線そのものの様子より世界観を見せる方向にシフトして手数が圧倒的に増えてきたというのもあります。
それはボールペンサイズを0.6一種類のみを使って描いていたこと(一種類の太さというのも自分なりの理由がありました)から、0.25〜太字の太さを使い分けて描くようにしたことが大きな要因です。


線による楽譜ということで「線譜」と名付けたけど、いいのかなあと少し悩んだりします。

塗りではなく線で描いてるので線画ではあるので、大丈夫ですよね。



<解説>
●線について

「線そのもの」を抽出して描いてきました。

線とは、原初の絵画である。「引っ掻き跡」それはつまり「線」である。と、僕は考えました。
最初は何の形も追わずに、ただ単に「支持体(壁・紙・地面など)に刻み込む動作」が描く原点だと思うのです。
それは「行為としての線」

そのうちに何か(最初は顔とか)を線で象るようになります。
それは「輪郭線」


ここまでは多分人類共通の「線」だと思います。
そしてパースペクティブで絵画を解釈しなかった「日本の風土としての線」。


「行為としての線」は描いた人の証。線を刻んだ時の線の動き。線の表情。
「輪郭線」は現実に存在しない。形と空気の中間にある曖昧な領域。形と形の入れ替わる稜線。意味と意味の狭間。
「日本の風土としての線」は線を使って平面として絵を捉える土台。


そこだけに突き進んで行くと、いわゆる「抽象画」になって行くでしょう。または「新表現主義・ニューペインティング」でしょうか。


そうすると情緒や感覚に訴える絵ではなくなって行くことがよくあります。
僕の言葉で言うと、「ノリノリになる音楽」「キュンとなる音楽」「ふわーっとなる音楽」のようなものではなくなります。僕はそんな音楽のような絵が描きたかったのです。


抽象やニューペインティングの意味合いも持ちつつも、「感じる絵」を描きたいのです。



名刺サイズ17作目完成。


2011年04月29日(金)17:45
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