只今制作中:2011.04.10.


USTアーカイブ(31:33)<ざっくり文字起こし>


実験的にアーカイブしています。これから毎日アーカイブしようかとおもってます。
制作の最後の30分くらいアーカイブしていこうかなあと、「本日の感想」のようなものを。


●なんでUSTで制作風景を配信したいと思ったのか?

3.11の地震の後、「自分に出来る事ってなんだろう?」「自分は何がしたいのか?」とあらためて問い直しました。


その時に思ったのは、「自分の現場に居る」とこでした。


誰しも自分の居る(行く)べき現場に居る(行く)。
子育て中の人は子育てが現場だし、会社に行く人は会社が現場だし、仕事や学校を投げ打って東北に(ボランティアへ)行く人はそれが現場だし、原発の復旧作業をしてる人はそこが現場だし、みんな、自分にとっての現場があると思ったのです。

「自分の現場の仕事をする」「自分の現場ってなんだろう?」と考えたら
今は引き蘢ってドローイング制作する事だなあと思いました。
基本的に毎日描いていたのですが、あらためて毎日描こうと思いました。


「なんで配信するのか?」
制作過程を見せていくのは昔からやってきたので、一番自分の出来る事かなあと思ったのです。


地震後一週間くらいはバタバタしてましたが、それから(記録しない)UST配信を始めて、地震後一ヶ月経った今日からアーカイブを始めようと思いました。

最初は『ただ制作してるだけ配信』というタイトルで始めました。今は『只今制作中』としています。


計画停電という枠(フレーミング

最初は「輪番停電」と言ってました。都心部は停電しないから「輪番」ではないので、「計画停電」と、呼び方を変えたのでしょう。

計画停電をきっかけにしてUSTを始めました。
制作風景をダダ漏れ配信しているのですが、計画停電が来て強制的にシャットダウン(配信終了)するという在り方(枠の作り方)が出来るなあと思いました。


計画停電は東電のプロパガンダ策だと思うのです。

「制作過程を表現するUST配信」(出来事)
「東電の都合による計画停電」(枠)


自分の表現(出来事)は東電という強者(枠・フレーム)には勝てない。

「枠組み(フレーム)」と言うのは実は「権力構造」だと仮定します。


制作配信が計画停電で不意に終了してしまうことによって、「枠組み」というのは自分の好きには作れない、強い者の都合で決められてしまうものなんだ、というのを表現したかったのです。
(同時に、「フレーミング」することはどんな場合に置いてもそれは「権力(暴力)」である意味合いを持つのではないだろうか)


●「地震が起きても戦争が起きても、絵を描く事を最優先しなさい」

毎日毎日思う事は、このままこれを描いて死んでいく人生を「良し」と覚悟してるのかどうか。
このまま描き続けてもお金にならない。誰も見てくれるわけでもない。
無駄であっても、自分にとって有意義か、やりたい事なのか、毎日自問自答します。

なんとなく毎日描く事を続けられてるのはきっと楽しいからでしょう、または気が紛れるのかもしれません。


2010年の夏、個展が終わってから僕は長崎の友人を訪ね、暫く滞在してました。
その時に、長崎美術館の館長さんと面会する機会に恵まれました。


そこで印象的だったのが
地震が起きても戦争が起きても、絵を描く事を最優先しなさい」
と言う言葉でした。


この言葉が自分にフィットしたのです。
本当に地震が起きて、これが実践出来るのか真価が問われます。
幸運なことに意外と無理なく描く事を最優先出来てるかなあと。


●さらば東京中心主義

2011.04.10高円寺反原発デモについて。

素人の乱主催のこのデモの告知を見た時に凄い事になるなあと予感しました。象徴的なデモになるだろうと。でも僕は行かなかったんです。


なぜデモに行かなかったのか?

1つは上記のように「描く事を最優先する」実践をしていたかった。
もう1つは、計画停電という地域差別。
「都心を停電させたら大変なので計画停電から外す」という一見もっともらしい言葉。
それは地域によって重要度に差異があることを示してしまってます。
上尾なら停電して良いと。
上尾だって停電したら大変です。病院だってあるし工場だってある。

これは上尾の人は死んで良くて、都心の人は死んでは良くない、という差別であると僕は考えます。


東京中心主義、文化もそうだなあと思ったのです。

僕のアーティスト活動もそうでした。東京でやって初めて意味(価値)を持つのです。東京に行かないと文化が認められないのを容認していました。


なぜ上尾に暮らしてて都内に出てアーティスト活動しなければいけないのだろう?
上尾に住んでいて、なんでわざわざ東京に出て文化発信しなきゃならないのだろうか?


自分は東京のステータスが嬉しかったんです。東京で活動してる自分が嬉しかったんです。上尾に暮らしてる自分自身が東京を上に見る地域差別を倣ってしまっていたのです。


しかし、ふと厭になったのです。
東京中心主義が厭になりました。この地震で。


高円寺デモは否定してないです。(複雑な心境はありますが)

僕の身体は東京に行かずに上尾に居る事を選びました。


●このまま描き続けて死ぬのか?

この国は変わるのだろうか?
僕のようなフツー未満な人間にとって未来はあるのだろうか?
いつまでこの葉書サイズと名刺サイズを描いていればいいのだろうか?
このまま描き続けてもお金が入る目処が立たなかったらどうするのだろう?
本当にダメになったら潔く自害(切腹)するしかないのだろうか?

このまま描き続けて死ぬのか?


地震から一ヶ月

原発推進派が圧勝する選挙があって、
大規模な反原発デモがあって、
なんかの節目だと感じます。


絵を描く事によって、自分が、または誰かが、救われることがあったなら、嬉しいなあと思います。


線そのものが見えてくる感じをもっと出したい。
もっと不思議な感じを出したい。


2011年04月10日(日)
22011.04.10〜11.葉書サイズ_11(2011.04.08.-),名刺サイズ_12(2011.04.07.-)制作中 on Twitpic